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コロナ禍の看取りを終えて

2022,4,26
多くの方に読んで頂きありがとうございます。
 中村仁一Drに関して少し加筆しました。(紺字の部分)

少々シリアスなブログになりますがコロナ禍で
高齢者の入院→施設入居→看取りとなったBB店主の体験です。
まさか自分の親をこの時期に看取るとは思ってもいませんでしたが
BB店主だけでなくたくさんの方が同じ思いで今この瞬間も介護をされてると
思い必要とされる方の情報になればと思い
綴らせていただきます。
この手の話題が苦手、不快と感じられる方はスルーして下さい。

「コロナ禍の看取り」
老健施設に入居していた母が施設でコロナ感染したとの連絡を受けたのが
今年2月21日の事。エリザベス女王とほぼ同じ時期でした。
幸い病院系列の老健だったのですぐに救急搬送の手配が整い
コロナ病棟へ入院となりました。
(BB店主はこの日、仕事でした。コロナ感染対策で施設へも救急車にも同乗は出来ず
お店で施設職員とのやりとりに追われてました。)

医師からはコロナで死亡の場合の恐ろしい終焉の話や延命措置を希望するか?などなどの
厳しい話がされましたが、幸い重症にはならず
約2週間の入院の後に陰性反応が出てすぐに元の老健施設に一旦戻すも
食べられなくなり体力の落ちた母は生きるための点滴が必要で
医療行為の出来ない老健からは数日で退去を求められました。
さてこの先どうするか?
1,自宅介護=現状では無理
2,療養型の病院へ転院=厳しい面会制限(禁止)で、今度会うときは危篤の時。

限られた選択肢の中で見つけたのが
淀川キリスト病院の系列の24時間看護師さん常駐、家族は入室可能のホスピス型施設「かんご庵」に迷わず入居を決めて3月15日から亡くなるまでの1か月を
プロによる手厚い看護と介護に支えられてBB店主は仕事を続けながら全室6部屋に
24時間看護師常駐+介護士2名の行き届いた看護体制のかんご庵に
仕事を持ち込み、備え付けのキッチンでお菓子を作ったり、ベッドで添い寝したりして
母と共に過ごす事ができました。
病院のホスピスですら面会時間は15分らしく
ホスピスから移って来られる方も多いみたいです。
病院や施設の面会制限には本当に心折れました。
会えないままのお別れだけはしたくなかった。
危篤で駆けつけるなんて辛すぎます。

食べられなくなって眠り続け、日に日に弱っていく母をこの目でリアルタイムに見れた事で
迫り来るお別れへの私なりの覚悟と準備が出来ました。
実際に葬儀社との事前打ち合わせや遺影、棺に入れる愛用品などの準備が泣きながらも
冷静に出来ました。

「自然死」
BB店主家族は決して自然死を望んだわけではありません。
かんご庵入居時は自力で食べられるようになり老健施設に戻す事が最大の目標でした。
なので水分補給の24時間の点滴と食べたいと望んだものはできる限り
持って行きました。
好物のサンドイッチとコーヒーを自力で食べていた事もありましたが
日に日に食べられなくなり最後はティースプーン1杯のおつゆも受け付けなくなりました。

水分が体内に入らずむくみとなって現れた頃に
水分補給の点滴を外してやらないと余分な水分が肺や心臓などに行くことで
苦しむと聞いていたので、そろそろ外すタイミングかと訪問医に相談、同意を得て
点滴を外してからは一切の水分も飲み込めなくなり
昏々と眠り続けました。それはそれは気持ちよさそうに寝ていました。
点滴を外してから1週間後に眠りの続きかと思うくらい静かに亡くなりました。
ずっと見ていましたが一言のうめき声もなかったです。
点滴、チューブ、酸素、心電図などの電子機器一切ありません。
安らかでした。死因=老衰

ここまで至るまではまずは自然死を家族全員が理解することで
家族と医療関係者とチームを組んで自然死に導いてやる事が重要です。
BB店主が自然死の本(下記画像)を熟読し理解していた事が大きなポイントかと思います。
この本はかなり前に読んでいました。
もし私がこの本に出会ってなかったら
ずっと点滴をして回復も望めないのにダラダラと引き延ばしていたことだと思います。
母の死までの道のりはこの本に書いてあった通りでした。
(苦しみなくスヤスヤ眠るように亡くなる)

先祖代々が心臓や脳で亡くなっていて母も自分は同じ病で亡くなると常に言ってましたが
見事に老衰で亡くなった母を立派に思う自分がいました。
もっと泣けるかと思いましたが安らか過ぎて
文字通りの自然な死を穏やかに受け止めることができたのは本とかんご庵のおかげで
有り難い限りです。

拙いブログですが読んで頂いた方にお礼申し上げます。
介護、看護されてる皆様どうぞご自愛されながらされますことを願ってやみません。
(コロナさえなければ)何度思ったでしょう。
終息と共にコロナ前の当たり前の平和な生活に戻る日が
来ることを切に祈ります。

大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ
著 中村仁一(医師)
幻冬舎新書

中村仁一Drは2021年6月5日にご自宅で亡くなられています。
死因は肺がん 享年81才

最期まで点滴は1度もせず医療は酸素呼吸器くらいだったとか。
旅立たれる朝に娘さんが作ったトンカツを数切れ召し上がったそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。

http://www.machi-care.jp
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「パリのこども部屋」BABY BLUE
2000年12月 大阪府豊中市で創業
ここでしかない物を慈しみをこめて。